うつ病記録(回想)

エピソード5:5回目の発症~現在に至る。

オトキヨ
オトキヨ

5回目も発症しないように、様々なことに取り組んだけど、

発症してしまったんだなぁ。。。

 

5回目の発症

○いつ発症したか?

→39歳頃(入社15年目)

この頃は、一般的な会社でいう「課長職」になっていた。

自宅は「一軒家」になっていた。

幸い、職場が近かったので自宅から通勤していた。

 

○どのような症状が出たか?

→最悪な症状である「フリーズ状態」は2,3回出た。

手足が動かなくなり、起き上がれなくなることもあった。

仕事をするのは無理な状態だった。

 

また、新たな症状として、

「不眠症」が出てきた。

寝つきは良いのだが、1,2時間で目が覚めて、その後、寝れないのだ。

これは苦しかった。

 

5回目の発症ともなると、毎度のことなので、自分の事は良く分かっていた。

確かにその時点では仕事をするのは、無理な状態だったが、

少し休めば、また仕事は出来ると予想していた。

 

そのため、少しだけ休ませて欲しいと上司に伝えた。

少し休めば、回復できると伝えた。

その間だけ、応援要員をつけて欲しいと伝えた。

 

○どうしたのか?

→上司の勧めで、まず病院に行けと言われた。

当時の上司は自分が精神的に病んだことが無いので、自分では判断が難しいということだった。

そこで、インターネットで心療内科を探して連絡したが、どこも手一杯で受け付けてもらえなかった。

いくつか当たってみたが、どこも予約が2カ月先しかとれない状況だった。

そんな中、一つだけ受け付けてもらえる病院を発見した。

「精神科医」だった。

 

予約はすぐ取れた。3日後だった。

それから診察までの間、仕事をしては、横になり、仕事をしては、早退するなどして過ごした。

 

3日後、病院へ診察へ行った。

 

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話しはそれるが、

僕はあまり病院には行かない。

滅多なことがない限り病院へは行かない。

薬もあまり好きではない。

ましてや、うつ病の薬なんて、効いているのかわからない。

実感が全くない。

 

以前、一回ほど心療内科でお世話になり、薬ももらっていたが、ほとんど飲まなかった。

でも当時は、薬が少しでも役立つなら、薬に頼りながらでも仕事をしたかった。

 

今回も、以前の心療内科と同じようなものだろうという思いで診察に行った。

症状を話して、薬をもらって終わりだろうと思っていた。

 

僕の順番が来て診察が始まった。

今までの症状や、うつ病の経緯を医者に一通り話して、少し休めばまた仕事ができることを伝えた。

 

すると医者が言った、

「オトキヨさん、今すぐに奥さんを呼んで来て下さい。」

「?? 何故ですか??」

「奥さんにも、聞いてもらいたい話しがあります。」

 

僕はしばらくポカンとしていたが、しょうがなく妻を呼んで病院に来てもらった。

 

すると、医者は言った。

「今から診断書を書きます。奥さん、この診断書を持って、旦那さんの会社に今から持って行って下さい。」

「!? ちょっと待って下さい! どうゆうことですか!?」

 

医者は私の言葉も聞かずに診断書を書いた。

診断書には短くこう書いてあった。

「うつ病につき、1.5カ月間の休養を要する。」

 

当然、僕は反発した。

「いくら何でも急過ぎます。少し休めば大丈夫ですよ。」

と言った。

すると医者は、

「私は、今まで何千人もの患者を診てきました。その私が言うのだから間違いない。あなたは決して軽傷ではない。重度のうつ病です。

と言い切った。

あまりの衝撃に言葉が出なかった。

 

しばらく口を閉じていたら、

「オトキヨさん、たまには医者の言うことも聞いてみませんか?あなたには休息が必要です。」

と医者は言った。

「はい。。。」

としか言えなかった。

 

そこから話が180度変わった。

当初応援社員を呼んで乗り切ろうとしていた仕事だが、急遽休職することになってしまった。

当然、上司も驚いたが、診断書を見て会社に報告した。

会社はすぐに私の代わりの人間を手配した。

 

実際のところ、妻は診断書を持っていっていない。

会社が遠い場所にあるためだ。

僕は診断書の写真を撮って上司にメールをして、本書は会社に郵送した。

オトキヨ
オトキヨ

衝撃的な医者との出会いだった。

だけどそれから、その医者が好きになっていくんだな。

 

それからどうした?

○休職と通院の日々

→医者の言う通り、2カ月近く休職することになった。

また、一週間に一度、通院することになり、妻の同席も求められた。

僕はこの医者のことを「先生」と呼ぶようになった。

まわりの看護師が、そう呼んでいたからだ。

 

この先生は、今までに会ったことのないタイプの医者で、面白い話をする人だった。

 

最初に話し方を注意された。

「オトキヨさん、今の会話で、「でも」「だって」を10回以上言っていますよ。「でも」「だって」「いや」という言葉を使うのは辞めましょう。」

そのため、初めの数回の診察は、僕も妻も先生と話すと、まず話し方から注意されることから始まった。

 

また僕が、

「2週間も休んだら、回復してきました」

と言うと、

「回復するのは結構ですが、一度書いた診断書は変えません。引き続き休職して下さい。」

と言われた。

 

先生はとにかく頭の良い方で、そのオーラが会話からヒシヒシと感じられた。

ただ決して嫌々しく聞こえないところに私は引かれていった。

しかしながら、このタイプの人間は人間的に「好き嫌い」や、「合う、合わない」があるだろうと思い、ネットで検索してみたら、案の定だった。

その医者の評価は賛否両論だった。

 

先生とは診察の度にいろいろな話しをした。

はじめのうちは、家族のことや人生の話しが多かった。

そして、考えさせられることが非常に多かった。

 

先生はいつも断言して発言する。

「オトキヨさんは仕事人間だね。それでは駄目だ。生き方を変えなさい。」

 

「オトキヨさんは家族が大事なんだよね? そのために働いてるんだよね? そうであれば、今の働き方には、問題があるよ。」

 

「子供をどう育てたいと思っているの? あまり考えてないの? それはでは駄目だ。子供にどんな大人になって欲しくて、そのためにはどんな育て方をするのかを、奥さんと話し合いなさい。」

 

こんな会話を診察中にする。

上手く答えれないと、「考えが甘いな」と言われる。

先生の言葉は時にグサリと刺さったが、僕は嫌いではなかった。

今までと違う価値観に触れることが出来て新鮮だった。

 

こんなやりとりの診察が続き、休職期間を終えた。

 

○何が原因だったのか?

→5回目の発症の原因も、やはり仕事の過労とストレスだった。

しかし対策を何もしてないわけではなかった。

自分では最大限に努力した結果だった。

 

僕の会社の外勤社員の仕事の流れは、簡単に言うと以下になる。

・まず営業が仕事を取ってくる。

・その仕事を外勤社員が引き継ぐ。

・外勤社員がその仕事を完了させ、お客様に引き渡す。

 

と言った流れだ。

これが外勤の「本業」にあたる。

 

だが僕はこれまでに、日本でも有名な大企業を相手に(お客様として)仕事をしていた。

すると自社の営業からではなく、お客様から直接、仕事や相談を受けることが多くなっていた。

小さな相談事から、大きな案件の相談まで僕に直接連絡が来るようになっていた。

一見すると本当にありがたい話しではあるが、その反面、「本業」に集中できない状況にあった。

 

また課長職になってからは、自分が実務をしていたら、とても仕事が追い付かない。

部下や、内勤社員を使って仕事を進めなければならない。

当然それもわかっていたので、振れる仕事は全部振った。

 

だが、お客様からの案件が多過ぎた。

 

案件を他者に振って説明をする時間すら無くなったのだ。

よって「本業」に支障が出てきた。

 

その結果、今までと同じ症状が出てしまったのである。

「うつ状態」からの「フリーズ状態」そして、「無気力状態」、「不眠症」

 

また同じことの繰り返しだ。

もうクセになっている。

 

○どのくらい休んだのか?

→診断書通り、約1.5カ月休職した。

こんなに長い間、会社を休むのは初めてだった。

外勤で課長職にもなったので、簡単には内勤に部署移動なんてことはない。

その点は、良かった。

だが、会社側も何回も「うつ病」になる社員なんて、第一線で仕事なんてさせない。

休職後は、同じ外勤だが、少し楽な部署での仕事になった。

オトキヨ
オトキヨ

精神科医の先生のおかげで、考え方が180度変わったんだ。

 

どうやって復活したのか?

○どうやって復活したのか? 今の状態は?

→休職後、普通に復職したが、今までのような過酷な第一線の仕事ではなくなった。

必要な仕事・部署ではあるが、第一線の仕事ではなくなった。

今まで仕事人間だった自分にとっては、不満な点もあるが、今はこれで良いと思っている。

 

休職後、通院は毎週から、1回/2週間 になった。

今は、1回/3週間 になっている。

 

先生は断言して言った。

「うつ病は必ず治ります。私が直して上げます。」

普通の医者はこんなこと言わないだろうと思う。

だけど、先生は断言した。

だから、僕もこの先生の元で必ずうつ病を直すことに決めた。

治療は長期間になることも言われた。

おそらく数年はかかるだろうと。

だけど、今回は僕も本気でうつ病を直すことを決意した。

 

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病院は休むことなく毎回行っている。

薬も毎日飲んでいる。

もう一年以上になるが、薬が無くなることはない。

若干、量は減ってはいるが、無くなることはない。

 

症状は確実に良くなってきている。

最近は初期の「うつ状態」におちいることもほとんどない。

 

うつ病は長期間にかけての大きな波があり、再発する可能性が非常に高い病気だ。

僕は再発の常習犯だ。

うつ病が「日常化」していたのだ。

 

復職当初、早く第一線に戻って仕事がしたいと思っていたが、最近はあまりそう思わなくなってきている。

第一線で仕事をすると、当然過酷な日々になる。

たとえ「うつ病」にならないとしても、家族との時間が減っていくだろう。

今は家族との時間を大切にしたい。

そのために第一線を外れた、今のポジションで生きるのも良いのかもしれない。

 

 

 

オトキヨ
オトキヨ

うつ病は治るんだ。それならばやってみよう。治してみよう。

と思うようになってきたんだな!

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