うつ病記録(回想)

エピソード4:4回目のうつ病発症。気をつけていたのだが。。。

オトキヨ
オトキヨ

4回目は、発症しないように努力はしていたのだが。。。

 

4回目の異常

○いつ発症したか?

→35歳頃(入社12年目)

 

○どのような症状が出たか?

最悪な症状は出ていない。

最悪な症状が完全に出ると、

・頭で考えることが出来なくなり、思考が停止する。

・パソコンを使おうと思っても、キーボードを打つことが出来なくなる。

上記の状態になる。

僕は上記の状態を「フリーズ状態」と呼んでいる。

「フリーズ状態」になると、もうお手上げ。

自分ではどうしようもなくなる。

電化製品のコンセントを抜いたような感覚。

張っていた糸が切れるような感覚。

自分でも手に負えなくなる。

まさに、GAME OVER。

 

そのため「フリーズ状態」になることを避ける必要がある。

僕は「フリーズ状態」になる直前に「予兆」を感じることができるようになっていた。

その「予兆」は言葉で表現しにくいが、「脳に何かが迫ってくるイメージ」だ。

まさに「来る!」という表現が一番合う。

「予兆」を感じた時は、仕事が残っていても早目に切り上げて、早く帰って寝ることにしていた。

そのため、最悪な症状は出てないが、

「予兆」を感じたため、会社を早退する、欠勤することが多くなった。

 

僕の場合、最悪な「フリーズ状態」にならないために、「予兆」を感じたら仕事を切り上げると話したが、

「予兆」が来ない時でも、ずっと「うつ状態」ではあるのだ。

 

「うつ状態」になると、

・ずっと頭の中が晴れない。

・ずっと脳に霧がかかったような状態になる。

・ずっと脳に黒い雨雲(あまぐも)がまとわりついたような状態になる。

・ずっと脳に帽子をかぶせたような状態になる。

そうなると、言葉数が減っていき誰とも話したくなくなる。

そうなると、難しいことは考えたくなくなる。

 

○どうしたのか?

→「予兆」感じたら、早退、欠勤をして早く寝ていた。

(当時は単身赴任のため一人暮らしだった。通院もしていない。)

 

しかしながら、早退、欠勤をするということは、その分の仕事は溜まる一方だった。

仕事が溜まると、焦ってくる。

焦ると次の日の朝から、「予兆」が始まり、会社に行けなくなる。

 

最悪な悪循環に陥っていた。

 

(当時の職場には人数はいたが、グループで仕事が分かれていた。

僕は一人のグループだったので頼る人がいなかった。)

オトキヨ
オトキヨ

仕事をしないと仕事が溜まるし、

溜まると焦るから、うつ病になるし。

ホントに悪循環だった。

 

それからどうした?

○それからどうしたのか?

→当時の職場では、上司に自分がうつ病持ちであることを、あらかじめ下記のように伝えていた。

・うつ病もちのため、欠勤や早退があるかもしれない。

・うつ病が発症して本当にダメだと思ったら自分から報告する。

・また、上司から見て、仕事に支障が出るような状態になったら、人員の配置換えをして欲しい。

上記のことを、あらかじめ上司に伝えていた。

 

 

だが、残念ながら、その時は来てしまった。

「フリーズ情態」になってしまった。

こうなると、もうどうしようもない。

上司にすぐ報告した。

「もうダメです。」

「わかった。」

と上司は言い、会社に報告をした。

 

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それから、しばらくして、会社の産業医の診察を受けるよう指示された。

「もうダメです。」と上司に報告してはいたが、

その後、若干調子がよい日が続いた。

産業医の診察も受けたが、特に何かを言われることもなく終了した。

 

会社からは、

「また辛くなったら、すぐに言うんだぞ」

と言われて、その場は終わった。

 

幾分、調子が戻ったためか、その職場はそのまま乗り切ることができたのだ。

途中で、中途半端に終わることなく、やりとげることが出来たのだ。

ずっと「うつ状態」でありながら、最悪な「フリーズ状態」にもなりながらでも、

自分の体と心と相談しながらやることで、仕事を完了させることができたのだ。

これは大きな進歩だった。

だが、ずっと「うつ状態」でいることは苦しかった。

 

 

○何が原因だったのか?

→僕の場合のうつ病の原因は、仕事による過労とストレスの2点だ。

過労は他の社員も同じ条件だが、ストレスは人によって異なる。

「真面目人間」の僕は、どうやらストレスを貯めやすい体質にあるらしい。

また、心配性であるという点からも、自分からストレスを作り出しているとも言える。

さらに、僕は、人並み以上に、他人の言動を気にする傾向にある。

そのことがストレスを溜めているようだ。

 

○どのくらい休んだのか?

→発症しないように、「予兆」を感じては対処をしていたので、

始めのうちは、1回/月 程度の欠勤や早退。

次に、1回/2週間 程度の欠勤や早退になり、

最後は、1回/1週間 程度の欠勤や早退になり、「フリーズ状態」発症。

その後は、何とか持ちこたえて乗り切った結果となった。

オトキヨ
オトキヨ

うつ病にならないように努力はしたんだけど。。。最後はなってしまった。

だけどすぐに復活したんだよな。

 

どうやって復活したのか?

○どうやって復活したのか?

→うつ病と診断されて以降、様々な書籍を読んだ。

その中でも、うつ病にとても有効な本と出合った。

「アドラー心理学」だ。

アドラーに関する本は数冊読んだが、その中でも

『嫌われる勇気』は、とても良かった。

 ・「課題の分離」

 ・「お前の顔を気にしてるのはお前だけ」

 ・「承認欲求をやめる。」

 ・「嫌われるコストを払わなければ自由にはなれない。」

 ・「ストレスは他人がいるから存在する。」

 

今思いつくだけでも重要なキーワードはいくつも出てくる。

ちょうど、この頃、「嫌われる勇気」を何回も読んでいたので、

ストレスに対する考え方や、他人との関わり方が変わったのだと思う。

(アドラー心理学や、「嫌われる勇気」の書籍に関しては、後日記事にするつもりだ。)

 

アドラーのおかげで、復活が早かったのだと思う。

 

他にも復活のためにしたことと言えば、

この頃から、

「睡眠・休息以外は布団から出る。」

ということをやっていた。

睡眠や休息のために布団に入り、エネルギーを回復することは問題ないが、それ以外は布団から出るということをしていた。

うつ病の場合、休息以外で布団で横たわっていると、むしろうつ病が悪化する傾向にある。

悪化せずとも、良い方向に進むことは、絶対ない。

布団で横たわりながらスマホをみたりする行為は、うつ病には良くない。

そこで、布団から出て家事をしたり、散歩をしたり、掃除をしたり、本を読んだりをしていた。

そして、なるべく根本的なうつ病の原因である「仕事」を考えないようにしていた。

 

○周りの人の反応は?

→僕は新しい職場に行くと、上司や同僚や部下に、自分がうつ病持ちであることを伝えておくことにしていた。

初めの内は、自分がうつ病なんて人に知られたくないので言わなかった。

病気持ちと思われたくなかったし、何よりうつ病であることが恥ずかしいと思っていた。

だけど、うつ病であることを公表しておくと、上司が配慮してくれる。

仕事の量や、言い方、話し方などを配慮してくれる。

これは大きな利点だった。

 

また、うつ病であることを公表しておくと、お互いの理解が深まる。

例えば、

「オレも昔、一度精神を病んで休職したことがある。」

「妻がうつ病になったことがあってね、、、、」

とかいう話題になったり、

「うつ病ってなったことないけど、どんな感じになるの?」

と興味を示してくれる人もいた。

病気を公表することは、決して悪いもんじゃないと感じたのも、この頃だ。

 

オトキヨ
オトキヨ

4回目の発症は単発だったけど、その間ずっと鬱状態が続いて辛かったなぁ。

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