3回目で初めて、異常の原因がわかったんだ。
○いつ発症したか?
→32歳頃(入社9年目)
○どのような症状が出たか?
→2回目同様に仕事中に、頭で物事を考えることが出来なくなり思考が停止した。
パソコンを使おうと思っても、キーボードを打つことが出来なくなった。
例えるなら、今まで使っていた電化製品がいきなり使えなくなるイメージ。
電線をハサミで切ったようなイメージ。
僕はこの状態を「フリーズ状態」と呼んでいる。
○どうしたのか?
→上司に体調不良を報告して早退して、アパートに帰った。
(当時は子供も二人いた。)
この頃の症状は良く覚えている。
○異常は続いたのか?
→異常は続いた。
今までと異なるのは、職場だけでなく、家でも「フリーズ状態」が続いたことだ。
「フリーズ状態」だと、何をしようとしても、体が思うように動かない。
なので、焦る。 焦ると動悸が始まる。
動悸が始まると、次は自傷行為に走る。
体中を掻きむしったり、壁に頭をぶつけたりした。
自傷行為をして、自分を落ち着かせようとしたのだ。
「フリーズ状態」を超えると、最後に無気力状態になる。
無気力状態になると、何もやる気にならない。
特に朝は、無気力状態におちいる。
(夕方になると多少回復する。)
普段の生活にも支障が出始めた。
外出したくない、食欲もない、風呂も入りたくない、何もしたくない。
ふとんの中で手も足も動かすことすら、億劫になるり、出来なくなる。
よって、起き上がることすら出来なくなる。
それでも仕事に行かなければという思いが強かった。
当時の職場は、わりと人数の多い職場であった。
僕はその中で、組織上のNo.2だった。
「僕がいないと仕事が進まない。」
「僕がいないとプロジェクトが進まない。」
そんな思いに駆られていた。
(上記の思考が完全な間違いであることに気づくのは、もっと先のことだった。)
無理してでも、仕事に行けそうな日は行った。
だけど、昼頃にはまた「フリーズ状態」に落ちいり、何も出来なくなり早退する。
そして次の日は、起き上がれずに欠勤する。
こんな繰返しの日々が2週間くらい続いた。
地獄だった。
ある時、会社の人にも相談した。
何故だかわからないが、相談中に涙があふれ出て止まらなかった。
涙もろくなっていた。
(病気の時に人と話しをすると、すぐに泣くことが後々判明する。)
○それからどうしたのか?
→病院に行くことにした。
「心療内科」だった。
医師の診断は、
「うつ病と軽い躁(そう)状態にあるので、病名としては「躁鬱(そううつ)病」になります。」
であった。
僕は絶望した。
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ここで、一旦話しは外れるが、僕がうつ病にだけは絶対になりたくない理由を説明する。
僕の会社は組織上、「内勤」と「外勤」の二つに大きく分けられる。
僕は外勤の社員だ。
今では完全な偏見だったと思うが、当時の僕は次のように考えていた。
「外勤」は現場の第一線で仕事をする。よって会社の最前線の仕事だ。
「内勤」は、事務職や技術職などあるが、主に外勤の現場をサポートする仕事だ。
当時の僕は外勤が会社の花形であり、会社を支える重要部署と考えていた。
よって内勤の仕事を、外勤の仕事よりも下に見る傾向があった。
とんだ勘違い野郎だった。
また、外勤は、仕事の性質上、精神病になる人や、うつ病になる人が多くいた。
病気になった人は、長期休養を余儀なくされ、長期休養明けは、「外勤」に戻ることなく、「内勤」になる。
うつ病の人が外勤に戻った話しは聞いたことが無かった。
また、うつ病は、心が弱い人間がなるものだと思っていた。
これも大きな勘違いだが、当時はそう思っていた。
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話しを元に戻そう。
躁うつ病と医者に診断され、僕は絶望した。
「まさか自分がうつ病になるなんて。。。」
「うつ病は精神的に弱い人、心が弱い人がなるのではないのか?」
「なぜ僕が。。。。」
そんな考えが一気に頭の中を駆け巡った。
「診断書を書きましょうか?」
と医者は言った。
僕は書かなくていいと言った。
診断書なんて会社に提出したら、長期休養させられ、内勤行きになってしまう。
そのため、診断書はもらわなかった。
でも会社に報告しないわけにはいかない。
会社には「軽いうつ症状がある。」と言った上で、少し休ませて欲しいと言った。
休職期間は10日間くらいだった。
会社から、
「休みの後は、元の職場に戻れそうか?」
と聞かれたが、それは無理だと答えた。
元の職場で症状が回復することは無いと感じていた。
結局、休職後は他の職場に行くことになり、その他の職場から、僕の元の職場に人が異動することになった。
要するに社員の入れ替わりだ。
○何が原因か?
→原因は医者いわく、当時の僕の状態は、
・エネルギーが枯渇している。
エネルギーがゼロの状態であること。
・エネルギーを回復するためには休息が必要。
特に睡眠が大事であること。
・そのためには、完全に仕事(ストレス)から離れること。
・その上で寝ること。
であった。
要するに過労とストレスで、エネルギーを使い切ってしまっているというのである。
また、ストレスがあると、エネルギーが回復しにくいということも言われた。
私の場合、1,2日休むと、若干エネルギーが溜まるので、すぐに会社に行って仕事をしてしまう。
仕事をすると気分が良くなり、躁(そう)状態になり、やり過ぎてしまう。
その結果、またエネルギーが枯渇して無気力状態、フリーズ状態になるということであった。
○どのくらい休んだのか?
→10日間くらい休んで、他の職場に行くことになった。
外勤のままであった。
うつ病と診断されたときは、ショックだったなぁ。。。
○どうやって復活したのか?
→休職して3日間くらいは、ずっと寝ていた。
体も思うように動かなかったし、医者も睡眠が大事だというので、とにかく寝ていた。
体が動かず、寝ている間は、嫌なことばかり考えていて、とにかく地獄だった。
会社を辞めることも考えた。
動けない時は、考えることも負の連鎖だった。
何日も寝ていると、少しずつ体が動くようになってきて、食欲も出てきて、普段の生活が出来るようになっていった。
エネルギーが回復したのだろう。
10日間の休職を終えるころには、体の調子は良くなっていた。
あとは、普通通り出勤して、フリーズすることなく仕事が出来るかどうかが、問題だと感じていた。
○どんなことを考えていたか?
→躁鬱(そううつ)病と言われてから、ネットや書籍で調べた。
うつ病に関しては、自分に当てはまることが多数あった。
また、どの本にも休養・睡眠はとても大切と書いてあった。
僕はこれまで、睡眠は重要視していなかった。
睡眠は、最低限で良いと考えていた。
むしろ短時間睡眠(ショートスリーパー)を目指していた。
理由は単純に時間がもったいないからだ。
妻は全く逆の考えで、睡眠が最も大事というタイプであり、睡眠に関してはよく意見が分かれた。
躁(そう)状態のことも調べたが、どうも自分に当てはまらない。
医者は、
「仕事をしていると、テンションが上がってきて、やり過ぎてしまうため、軽い躁状態になるのではないか。」
と言った。
本に書かれていた躁(そう)はどれも過剰な行動、言動ばかりだった。
上記を踏まえると、確かに軽い躁(そう)なのかもしれないと思った。
○周りの人の反応は?
→僕が休職している間、様々な人から病状を気遣う電話を頂いた。
同僚や、元上司や、関連会社の方々からの電話であった。
そんな会話の中で、あるフレーズが連呼された。
「オトキヨは真面目だからなぁ。」
「真面目だから病んじゃうんだよ。気楽にいこうぜ。」
「真面目に仕事ばかりしたら、良くないよ。」
あるフレーズとは、「真面目。」
僕は真面目な人間なのか?
自分が真面目な人間なんて、今まで思ったこともなかったのだ。
そこで妻に聞いてみた。
「俺って真面目な人間なの?」
妻は、
「あなたは世間一般的に見たら、間違いなく真面目な部類の人間だよ。」
と言った。
これは自分にとって衝撃的な一言であった。
確かに、自分自身に関しては「真剣(しんけん)」でありたいとは思って生きてきたが、
まさか他人から見たら、真面目人間だなんて、、、衝撃だった。
どの本にも必ず書いてある。
真面目な人間はうつ病になりやすいと。
どうやら僕は「真面目人間」らしい。
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廻りの人の反応として、一番近くにいる妻のことを話そう。
妻は僕がうつ病になったことに関して、大して驚くことも動揺することもなかった。
妻に言わせれば、
「成るべくして成った病気。」
であり、うつ病になって当然だという。
そのため、妻の態度・応対は、仕事をしている時も、自宅で休職している時も変わらなかった。
それが嬉しかった。
この頃から、本当の意味で妻に感謝し始める。
また、会社を辞めようかと漏らしていた時には、
「病気の時に大事な決断をしてはいけない。」
と妻は言った。
後で知ったが、病気の人や追い込まれた人は、重要なことを簡単に決断をしてしまうらしい。
会社を辞めるとか、転職するなどの大事な決断は、病気が治ってから改めて考えた方が良いとのことだ。
○スムーズに復職できたか?
会社も私を気遣ってか、復職後の1ヶ月は定時の17:00で帰るように指示された。
仕事の内容も、簡易的なものばかりだった。
2週間が経った頃、私は17:00で帰る生活と、簡易的な仕事に飽きていた。
つまらなくて退屈だった。
そこで上司に相談した。
「もう自分は大丈夫だから、普通に仕事させて欲しい。」
と言った。
僕はうつ病は、完治したと思っていた。
しかしながら、再発することは、十分あり得るということは心得ていた。
今後は気をつけながら仕事をして行こうと思っていた。
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病院は平日しかやっていないため、通院することは困難だった。
そのため、妻が代わりに定期的に病院に行き、現在の病状を説明して薬をもらってくるという流れになっていた。
元来、薬嫌いな僕は、薬が効いているのか、効いていないのかハッキリしないものを飲み続けることはしなかった。
飲む日もあれば、飲まない日もある。
実際は飲まない日が多かった。
そして最終的には病院に行かなくなった。
この時、うつ病のホントの恐ろしさはまだわかっていなかったんだ。
もう治ったんだ!俺はやれるんだ!と勘違いしてたんだ。。。
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