うつ病記録(回想)

エピソード2:2回目の精神異常

オトキヨ
オトキヨ

2回目もまだ、異常の理由がわからないんだな。

 

2回目の異常

○いつ発症したか?

→29歳頃(入社6年目)

 

○どのような症状が出たか?

→外での仕事中に、急に頭で物事を考えることが出来なくなり思考が停止した。

事務所に戻り、自分の机に着いて休憩した後、パソコンを使おうと思っても、キーボードを打つことが出来なくなった。

 

○どうしたのか?

→上司に体調不良を報告して早退して、アパートに帰った。

(当時は結婚して二人で暮らしていた)

オトキヨ
オトキヨ

何も考えれなくなるあの恐怖。。。

 

それからどうした?

○異常は続いたのか?

その後2週間の内に数回、同じ症状になった。

職場には行けた。

しかし、仕事をしている内に、思考停止状態になり、キーボードを打つことが出来なくなる。

軽い動悸も発生した。

 

○それからどうしたのか?

→職場の事務員さん(女性)の息子がうつ病で休職しており、通院している情報を得た。

事務員さんから、その病院を教えてもらい、僕もその病院へ掛け込んだ。

医者に症状を説明したが、原因は不明だった。

他の病院にも行ってはみたが、やはり原因は不明だった。

 

○何が原因か?

→当時は慢性的に、朝の目覚めが早かった。

朝は目覚ましより先に目が覚め、仕事のことばかり頭に浮かんでいた。

朝は布団の中で悶々とする日々だった。

それは今に始まったことではなく、入社以来ほぼ毎日のことだった。

ストレスは間違いなくあっただろう。

 

また、一回目の精神異常時ほどではないが、長時間労働な状態ではあった。

毎日7:00~22:00頃までは仕事をしていた。

過労も間違いなくあっただろう。

でも直接的な原因はわからなかった。

 

○過労とストレスが原因だとは思わなかったのか?

→今思えば、過労やストレスだらけの生活だったが、

当時は仕事をすること自体が、ストレスと過労に結びつくとは考えもしなかった。

むしろガンガン仕事をしていた。

当時、「吉越浩一郎」氏の本に感化され、

どんどん決めて、どんどん動いて仕事をしていた。

 

○どのくらい休んだのか?

→2週間で早退が3回くらいだったと思う。

 

どうやって復活したのか?

○どうやって復活したのか?

→急に他の職場から応援要請が舞い込み、単身赴任で応援に行くことになった。

そこで一旦、今まで貯め込んでいたストレスから解放されたのだ。

新天地での仕事は、今までで最もハードな仕事内容だったが、

ストレスと責任感が極端に少ない、「応援要員」で行ったため、

伸び伸びと仕事をすることが出来た。

 

○どんなことを考えたか?

→初めて病院に行ったが、

「うつ病だったらどうしよう。」、

「精神病だったらどうしよう。」

と、ビクついていた。

 

うつ病や精神病には絶対なりたくなかった。

その祈りが通じてか、そのような検査結果にはならなかった。

しかしながら、原因不明にも困った結果だった。

なぜなら、対策がたてれないからだ。

だが、それ以来、異常な症状は出ていないので、放っておくことにした。

 

オトキヨ
オトキヨ

極度な過労とストレス状態にあることを、

自分自身が理解していなかった時期だな。

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